20100315

2009年冬、日比谷公園にて

※自分の個人情報を載せてしまっていたので
一部削除しました。


忘れたり変色しないうちにメモしておきます。
今更なお話ですが、今年ではなく、去年のお正月の話です。

日比谷での炊き出しでボランティアを募っているとのこと。
友人と連れ立って、派遣村のお手伝いに行きました。

いくつか湧いた疑問があれども困った時はお互い様な状況下で
重箱の隅を突く様な事はいけないかなと黙っていたのですが、
もう一年以上経つのだから、当時お困りだった方々も、
なんらかの事情でお困りのふりをしていた方々の生活基盤も、
ある程度礎えられただろうと仮定して話しちゃいます。

1) 公園に設営したテントでお休みの皆さんを
朝食の為に起こしに行っても、
「あー、俺、朝飯食わない主義だから。。」とか言って
朝ご飯食べない方が意外なほど多くいらっしゃいましたよね。
でも、その人が、テレビのインタビューには
「久しぶりに湯気の出る物食べました~ハァ~」
などと、か細い声で答えていらっしゃいましたよね?

2) 食事などを手に入れる列の人数に比べたら、
その後の生活相談のために講堂へ集まった人数は、激減しましたよね。
あの驚くほどの長蛇の列の中身は、その朝の食事さえ出来たら
後の生活には困らない方々が多かったのですか?

3) 電車賃も無い状態なのに、喫煙率が非常に高かったですよね。
灰皿のお掃除だけでなく、日比谷公園中に投げ捨てられた
新しい煙草の吸殻を拾い集めるのが大変でした。

4) 寝る場所も食べる物も無く困っている方々なのに、
それを援助する為に集まった私達を口説く男性がいらっしゃいましたよね?
私は生まれて初めて、見ず知らずの男性に体を触られました。

5) 一昨年の大晦日~去年の元旦のyou tubeで
「この活動の記事を見て、居てもたっても居られず駆けつけました!
読んだ記事ですか?はい、朝日新聞です!」
と熱くインタビューに答えていた女性は、本当は「中の人」でしたよね。
翌日、私と友人がボランティアに行ったら、
その女性は「派遣村の中の人」として活動していらして、
私達ボランティアの指導や叱責や配置換えに
飛び回っていらっしゃいました。
何故「朝日新聞の記事を見て何かお手伝いさせて欲しい」と
馳せ参じた一般人を騙ったのでしょうか?

6) これは、私は確認していない事ではないのですが、
寝る場所も食べる物も無いという派遣切りに遇った方々が
大挙を成して派遣村=日比谷公園に集まった大晦日には、
既に都から食糧や寝場所の提案がされていた、と聞いたのですが。。
それが真実ならば、派遣村主催側が都との交渉を優先させたから、
「派遣切りで寝食にお困りで各地から集まった方々」は
大晦日からお正月を公園内のテントで寝起きせざるを得なかった、
という事ですよね?

2009年になろうとしていた時、ある人が入院しました。
何故もっと早く来なかったの!と怒られた彼は、
仕事納めの後に診察を受ける予定でいた所、派遣村の問題が飛び込み、
自身も寝食に困る経験した身としてその対応を買って出て、
派遣村対応を万全にするためにぎりぎり迄勤め上げ、
そのまま松が開ける迄入院を余儀なくされました。
大晦日は誰一人寒い思いをさせないで済む筈だと弱弱しく笑う彼に、
大晦日からのTVの騒ぎを知って欲しくなかったです。


その他、極めて稀な例だとは思うのですが、
いろんな意味で記憶に留まったのが、
「○○から一週間がかりで歩いてきた」とTVに訴えていた男性。
その日は派遣村を閉めて都が用意した場所へ移動する為
前日から「移動準備→荷物を持って朝食→移動」と決まっていたので、
朝9時前に朝ごはんの支度が出来ましたよーと起しに行ったら、
かかとの減りが殆どない、私も履いた事が無い
ヘビ革のフランス製の美しい靴をテント内に置いていて、
「朝飯いらないっす。」「地面ドロドロですよね?」
「目覚めないんで煙草もらえますか?」となかなか出ていらっしゃらない。
移動の為にテントを畳む都合があるので朝食と講堂での会合へ促すと、
「長靴かサンダル持ってきてくれないっすかね。。」と渋るばかり。
その理由が、
「俺、これ一足しかないし、汚したくないし、ビニール貰えませんかね。
え、まじで?そのコンビニのとか入れちゃうの、俺のこの靴。。」
と仰っていたのですが、

中部の大都市 名○屋 から一週間がかりで、
真冬の道を新品のフランス製のヘビ革の靴で、
本当に歩いて日比谷までいらしたのでしょうか。

疑う事は悪い事ですね。でも、私は疑います。
その靴で、名○屋 から歩いて来たって嘘でしょと。


最後に、志位さんと鳩山さん。

7) 寒空の下、皆を演壇の前に集まらせたかと思ったら、
志位さんと鳩山さんが「ねぎらい」の挨拶のために演壇に立ち、
マイクで何かスピーチしにいらっしゃいました。
その場の取材陣の数の多さに驚きました。
予めスピーチの時間が決まっていて、
それに合わせて取材陣が集まったのかと 穿った考えをしてしまいました。

壇上で、自民党議員の姿はないですねーと仰って
その場の笑いを掴んだつもりでいらしたのは
お二人の内どちらだったか失念しました。

ですが、私や友人や他のボランティアさん達と一緒に
泥だらけになりながらテントを畳み、
食べ残しの豚汁の残滓を肘まで濡らしながら分別し、
日比谷公園中を「派遣村が来た前よりも綺麗になった」と言わせるべく
真冬の極寒の朝に汗を垂らし、髪を乱して、白い息を弾ませながら、
吸殻一本残さずに拾い集めて歩いた泥だらけのお爺さん達とお婆さん達は
紛れもなく(当時)自民党の議員さん達とその奥様方ですよ。

(日頃の小泉さんチェック@国会中継のおかげで
気付いたのは私のみの様でしたが、
私がそのうちの一人に気付き、「・・あ!!」と小叫びすると同時に
みなさんから苦笑いしながらシーされて、
「今日はそういうの抜きだから」と口止めされてしまいました。
すみません、口が軽くて。
でも、これだけは言わせて頂きたかったです。


私はどの政党も属しておりませんし、
どの政党であれ日本を良くして下さるのなら
その人達を支持して応援するつもりですが、
泥や残飯でお召し物を汚しながら働いた元自民党議員御夫婦達と、
壇上から湯浅さんへ誇らしそうに嬉しそうにうなずき、
アイコンタクトをとっていらしただけの志位さんと、
キャメルのロングコートにカシミアのセーターに皮靴で
手を汚す気なんて一切無い風情の鳩山さんと、
その場の誰を支持するかと言われたら迷う筈もなく、
その泥だらけの自民党議員達でした。

(※とんでもない自民党議員さん達もいらっしゃるので、
党自体を支持するわけではありません。)

思想や政党を抜きにしたら私はちょっと志位さんのファンだったので
派遣村での志位さんにはとてもがっかりしちゃいました。
フリースで動ける服装だった分、鳩山さんよりはマシとは思うけれども。

朝鮮学校の学費負担ゼロ化にも外国人参政権導入にも猛烈に反対している私の立場としては、とりあえず、今は、黙って見ています。
私と同じ「今は静かな」傍観者は結構いらっしゃると思いますよ。


最後に、
困った時はお互い様、という言葉がありますが、
極限まで努力をして、それでも駄目なら
恥ずかしながら人様に助けて頂くのも一つの手段だと思います。

ですが、まずは人なりの生活基盤を整える事が出来たら、
絶対に恩返しをすることを第一目標とすべきだと思うのです。
人の力を借りることは恥だとは思いませんが、
借りっ放しは恥であり、
人に何か借りて助けて頂いた身で借りも返さずに
遊興や趣味を享受するなんて凄まじい恥だと断じます。

生活保護も、国から借りた借金だと思います。

どうやってそれを返してゆくかは
人それぞれだとは思いますが。